晩秋の京都 大徳寺黄梅院
晩秋の京都を訪れた時の日記、第三弾は臨済宗 大徳寺黄梅院 秋の特別公開。大徳寺と言えば、千利休が秀吉の怒りをかって切腹を命じられる原因の1つとされる山門があるお寺ということで、名前だけは知っている。これがその大徳寺山門(金毛閣)。この門の2階部分を増築した時に千利休が木像を設置してその下を秀吉に通らせたというけど、思っていた門よりはるかにデカイ。もっと小さな門に木像があって、頭を下げる形でくぐらせたのかと思っていた。
多摩地区、特に高幡不動尊と昭和記念公園を中心にした散歩写真
晩秋の京都を訪れた時の日記、第三弾は臨済宗 大徳寺黄梅院 秋の特別公開。大徳寺と言えば、千利休が秀吉の怒りをかって切腹を命じられる原因の1つとされる山門があるお寺ということで、名前だけは知っている。これがその大徳寺山門(金毛閣)。この門の2階部分を増築した時に千利休が木像を設置してその下を秀吉に通らせたというけど、思っていた門よりはるかにデカイ。もっと小さな門に木像があって、頭を下げる形でくぐらせたのかと思っていた。
12月最初の週末は、いい天気になったわりには気温は低く、まさに秋から冬に季節が移りつつある感じがしてきた東京多摩地区。高幡不動尊入口の仁王門には元旦大護摩御修行の掲示が出ていた。もう正月準備だ。境内で一番早くから色づいていたモミジが落葉を始めて辺りが明るくなった。
晩秋の京都を訪れた時の日記、第二弾は臨済宗 建仁寺。場所は祇園の花見小路通の突き当りにあるお寺。これは勅使門。花見小路通の反対側だけど、この門のすぐ先に下写真の三門があるので、たぶんこちらがお寺の正面。「望闕楼」と書かれているが、これは御所を望む楼閣という意味だそうだ。これは風神雷神図。俵屋宗達の屏風画で左側が雷神、右側が風神。この風神雷神の姿はよく見かける。
晩秋の京都を訪れた時の日記、第一弾は天台宗 大原三千院。 上写真の石柱には「梶井 三千院門跡」、下写真の御殿門には「梶井門跡 三千院」と記されている。 しっかり石組みされた城門のような御殿門をくぐり、拝観受付を済ませるとまず履物を持って客殿に入る。下写真は客殿の庭園である聚碧園(しゅうへきえん)。