この週末は千葉方面にお出かけしていたので、高幡不動尊には行けず、少し前の菊まつりの写真を整理した内容ですみなさんのブログへお伺いもできず申し訳ありません
高幡不動尊の菊まつり(11/17で終了)では、古典菊とよばれる日本で古くから栽培されている菊なども展示されていた。今回はそれを含めてちょっと変わった菊の花を集めてみた
菊は中国が原産地で古くから日本に持ち込まれて独自に育成された品種も多い。とくに嵯峨菊と伊勢菊は平安から鎌倉時代にまでさかのぼる品種と言われてる。また古典菊の隆盛に大きくかかわった江戸時代に育成されたのが肥後菊と江戸菊と言われている
これらの菊は、解説の看板を読みながらじっくり見るとなかなか味わい深い
嵯峨菊(下写真左の赤紫色だと思われるが正確なところは不明)
嵯峨天皇が御所内に咲いていた野菊を好んで育てたことに端を発し、王侯貴族が長年にわたって改良育成したものといわれている。この菊の生命は、清楚・優雅にある。平安朝の洗練された美の感覚にして、初めて産まれたものと言えるであろう(菊まつりの看板より抜粋)
江戸菊(上写真左の白色だと思われるが正確なところは不明)
江戸菊の起源は、元禄年間ともいわれるが、定かではない。この菊の特徴は、「抱え咲き」といわれる花の咲き方にある。先ず、「咲き下ろし」といって、各花弁が十分に伸びると、次に平弁がよれ始め、やがてそのよれた弁が花芯を包むように「抱えこむ」。この咲き下ろしから抱えこみにいたる過程の花弁の変様に、この菊最大の魅了があると言われる。(菊まつりの看板より抜粋)
伊勢菊(下写真)
伊勢地方で古くから栽培されていた菊で江戸時代中期にほぼ現在の形に完成されたといわれている。この菊の特徴は、花によく現れている。花弁は管弁のように見えるが、実際には平弁がよれてできたもの。花色がたいへん鮮明ですが、それは花弁の表面が外側にでているためである。(菊まつりの看板より抜粋)
肥後菊(下写真)
肥後菊は、今から約200年前の宝暦年間に、肥後の名藩主といわれた細川重賢藩主が、藩民の精神教育と品性の向上をはかるため、文化施策として菊づくりを奨励したのが始まりと言われている。質実剛健を旨とした武士が産んだ名花の印象を、強く受ける花である。(菊まつりの看板より抜粋)
ここまでが古典菊
御紋章菊ともいわれる一文字菊。この一文字菊は花びらの数が16枚前後の一重咲きで、花の形から菊の紋様すなわち御紋章菊とも呼ばれている
上写真左側の花の下にある支え板を外すと右側のようになるのかな・・・正確なところは不明
ファイヤ・ウェールと書かれていたが、これも菊のようだ・・・
インターネットで調べたみたが、この菊のことはわからなかった・・・なんだか今回は不明点が多い内容で申し訳ない
これは「風車菊」という名前の菊らしい(2008/12/24追記)
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