眠っている機材(SONY デジタルマビカ)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 0

このところ高幡不動尊のあじさいの様子ばかりが続いているので、ちょっと趣の変わった記事

私が始めて買ったデジカメがこれ。眠っている機材というよりは、もう使うことがない機材。1997年に発売されたソニーのデジタル・マビカ(Digital Mavica)の初期バージョン。
これは固定焦点の廉価版MVC-FD5、10倍ズームの上位機種MVC-FD7も出ていたけど高くて買えなかったんだと思う。
マビカ-1
3.5インチフロッピーディスクを記録媒体に使ったちょっと異色のデジカメ。
41万画素、640×480ドットのJPEGファイルが1.44MB のフロッピーディスク1枚に20~40枚ぐらい記録できた。
フロッピーディスクは記録媒体兼パソコン転送用として当時すごく便利だった。いまだともうフロッピーディスクドライブどころか、ディスクも滅多に見ない。マビカ-2
写真を撮ると、手に持ったデジカメからフロッピーディスクに書き込むガチャガチャとしたメカニカルな振動が伝わってくるのがすごく面白かった

以下は1998年にこれを持って米サン・マイクロシステムズ(Sun Microsystems)が開催した新型サーバー機(E10K Starfire)のカンファレンスに行った時の写真。
マビカ-4
会社というより大学のキャンパスみたいなところ。
マビカ-8
このサンマイクロシステムズの敷地内にあったJavaカフェ。当時はJavaがブームだった。
マビカ-7
メニューらしきモノを撮っていた。でも何が書いてあるのがわかるほどの力はない。力=写真の解像度又は英語の読解力
マビカ-6

シリコンバレーの中をいろいろ回ったが、これはスタンフォード大学内だと思う。
マビカ-10
ここはサン・マイクロシステムズの創始者スコット・マクネリが卒業した大学。SUNはStanford University Networkに由来する。BSD UNIXを開発していた創立メンバーのビル・ジョイはカルフォルニア大学バークレー校(UCB)出身。

Sun-4やSPARCstationで一時代を築いたサン・マイクロシステムズは少し前にOracleに買収されてしまった。私が仕事で最初に使ったコンピュータ(VAX-11)のDEC(ディジタル・イクイップメント)もコンパックに買収され、その後コンパックがHPに買収された。いろいろ動きの激しい業界だったね(^^;)

サンフランシスコの市内。路面電車が方向転換するところ。
マビカ-3
車両の横に白い柱があってつかまることができるようになっているが、ここは立ち乗りする部分で、ここに乗って、下の坂道の写真を撮ったような記憶がある。
マビカ-5
とてもすごくスリリングな乗り心地で、写真を撮っていて運転手に何か言われた(怒られた?)ような気がする。

これはフイッシャーマンズワーフ。サンフランシコと言えば、フイッシャーマンズワーフと金門橋(ゴールデンゲートブリッジ)。
一応仕事で行ったこともあって、何を食べたかはもちろんのこと、どんなところだったかすらもほとんど覚えていない
マビカ-9
金門橋(ゴールデンゲートブリッジ)に行ったのも夜だったので、写真は撮ったけど、真っ暗でほとんど何も写っていない。

今回デジタルマビカの写真として、このサンフランシスコの写真をアップしたのは人のいない風景の写真はこの時しか撮っていないから。デジタルマビカで撮った写真が数百枚あるけど、残りの写真はすべて人物を撮っている。

まだデジカメがそれほど普及しているわけではなく、41万画素とはいえ撮った写真でプリクラを作って子供の友達に配るとすごく喜ばれたいい時代だった。
逆に、この41万画素では、きれいな花や風景を撮ろうという気にならなかったんだろうね。

この記事はbabathegiantさんの、つながり企画「眠っている機材」に参加しています。

にほんブログ村 写真・アウトドア ブログへ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする